sy2022のブログ

不妊治療と生活の記録

病院①の思い出 その2

こんばんは、syです。

 

ただいま病院③での採卵が終わり、腹痛と戦っています。

しばらくはあまり動けなさそうなので、ブログにどんどん記録していきたいと思っています。

 

順番を追って書きたいので、病院①について。

結局こちらの病院では、タイミングを4回、AIHを4回して転院となりました。

最低限の不妊治療をする分には問題なかったと思いますが、合わないと感じたのもあって、急ぎ転院しました。

合わないと思ったりと思った理由は以下

 

私の焦りを理解してくれなかったこと

私は当時32歳で、正直1周期でも早く、という思いでした。しかし、先生は「まだ32歳でしょ」という立場で、なかなかステップアップしてもらえませんでした。

特に、フーナーテストをやってもらえたのがタイミングの3回目からで、しかもその評価が悪かったにも関わらず、もう一度タイミングで進めると言われたことに、少し苛立ちました。

発言に一貫性が無かったこと

夫の数値について、AIH1-2回目はあまり良くなかったのですが、そのときは「十分妊娠可能な数値」と発言がありました。しかし、3回目のときに数値が改善しており、そのことを教えてもらったときに「いままでの数値じゃ妊娠は無理だったから、今回はいけるね」と言われ、不信感を覚えました。

 

また、初めに「筋腫があるが、妊娠には影響の少ない位置である」ということを言われていました。

AIHが始まって2回目が駄目だったあたりから、診察の度に「あなたは筋腫があるから(妊娠できない)」と言うことを言われるようになりました。

また、体外受精を考えている(つまり転院の必要がある)ことを伝えても「筋腫があるから、体外受精したって妊娠できない」ということを頻繁に言われ、嫌な気持ちになることばかりでした。

1周期でも早く転院してスムーズに体外の周期に入りたかったため、最後のAIHをする前から紹介状の作成を頼みました。看護師さんや事務の方からはすぐに書いてもらえるという説明があったにも関わらず、AIHの結果が出て、受診してからでないと書けないと言われ、そのままフェードアウトしました。

 

体外受精にあたっては、転院が必須だったので、仕方がないのですが、正直もっと早く転院すればよかったと強く思っています。

近所に産婦人科がそこしかないため、もし妊娠したらここに通うことになる…と思うとあまり言いたいことも言えなかったのもあります。

転院先は、必ずそこでの検査が必要であったので、特に過去の結果類も不要で、紹介状も求められなかったので、本当に早く行けばよかった…と後悔しています。

また、この転院がちょうど不妊治療の保険適用が始まる頃と重なってしまい、転院先がとても混雑してしんどかったです。もう少し早くしていれば…と何度も思いました。

 

以上が病院①の思い出です。